nozomunの快適・カチョー生活辞典

08 半眼贔屓

由来

 「はんがんびいき」と読む。判官贔屓(ほうがんびいき)の間違えではない。判官とは九郎判官源義経のことと定まっている。いろいろと可哀想なヒトだったので、同情と贔屓とを誘ったのである。これに対して半眼とはカチョーのことと定まっている。可哀想なヒト、ではない。尊敬されて贔屓にされるヒトのことなのである。

講釈

 「目を半分閉じ、目を半分だけ開けているのが真のカチョーである」と言ったのは、円月殺法の眠狂四郎だった、かも知れない、よくはわからないけど。ま、ともかく、目を大きく開け、女性のシミそばかすや小ジワの詳細を見るのは、紳士にあるまじき所作である。目をカッと見開いて部下の瑕疵(かし)、ミス、性格の悪さを拾い出すのは、真のカチョーにあるまじき姿である。日本人F1レーサー第一号の中嶋悟さんも喝破(かっぱ)している。真のレーサーは凝視しない、周辺視野を得るためには前方を何気なく見るに留めるのだ、と。なるほどネ。凝視がもたらすものは視野狭窄(しやきょうさく)である。部下の欠点が拡大して見えて、部下の人間全体が目に入らないことを言う。

実技

 愛用の老眼鏡を外し、近眼用眼鏡を仕舞って、見えるような、見えないような、そんな状態に身を置く。定かに見えねば何が見えてくるか、そこを感得するのである。うーん、何にも見えんなあ。それは心眼が開いてないからである。といった調練に一、二日励み、今度は薄目の練習に入る。この頃にはもう半眼になっているので細部は言わないが、このようにしているといつの間にか、目を開けても半分しか機能しなくなる。そうなれば周囲から尊敬される「半眼贔屓」のヒトの仲間入りである。