草稿ノート草稿ノート

縁(えん)も縁(ゆかり)も

 映画『サイダーハウス・ルール』の舞台のひとつである孤児院で、孤児に繰り返し読み聞かせている本は『ジェーン・エア』『大いなる遺産』だった。どちらも3世紀にまたがる超ロングセラーである。

 『ジェーン・エア』の作者シャーロット・ブロンテは1816年生まれ、『大いなる遺産』の作者チャールズ・ディケンズは1812年生まれ、2歳違いということになる。どちらもイギリス生まれだから、お互いの著作を読んでいたはずだ。

 いずれの主人公も数奇な運命をたどる。赤ん坊のときに両親を失った主人公ピップが登場する『大いなる遺産』は、少年ピップが、墓地で出会った囚人に、家から持ち出した食べ物とヤスリを与える場面から始まる。囚人は捕まるが、ピップに罪が及ばぬよう食べ物は自分が盗んだと言い張り、これが伏線となって、主人公は数奇な運命へと突入していく。

 『大いなる遺産』で伏線と言えるのは、この囚人との出会いだけだ。あとは伏線なしで「じつは」でつなげて展開する。良い小説には、よい伏線があり、伏線と伏線をつなぐ良い設計がある。つまり原因があり、結果がある。その結果が新たな原因となり、新たな結果を生む。それが良い小説の構造だと言える。

 カミユが29歳で書いた『異邦人』の主人公ムルソーは、母親の葬式に参列しても感情を示さない男だ。葬式のあとに遊びに出かけ、なじみの女性との情事にふける。

 あるとき友人のトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺し、逮捕される。裁判ではムルソーの冷酷な人間性が暴かれ、死刑を宣告される。ムルソーはそうした裁判の行方に関心を示さず、上訴もしない。裁判の最後に殺人の動機を問われてムルソーは答える。

 「太陽が眩しかったから」

 この小説の書き出しは、「きょう、ママンが死んだ」である。このように翻訳したのは窪田啓作だが(新潮社版、のちに新潮文庫版)、窪田はなぜ「ママン」と訳したのか。原文は〈Aujourd'hui, maman est morte.〉だが、「maman」をなぜ「母」とか「おふくろ」とか「かあさん」とかに訳さなかったのだろう。

 それは、「きょう、ママンが死んだ」こそが伏線だからだ。母親の死は人生の一大事で、母親の死には涙するものだ。そう振る舞うことを要求するのが社会である。このかすかなウソ(不条理)に対峙するのが反抗で、反抗を突き詰めれば無関心にたどり着く、というのがカミユのテーマだ。

 とすると、「母」という控えた言い方は社会との関係が匂ったままで、「おふくろ」や「かあさん」では情がこもって対峙も反抗もなくなってしまう。

 主人公の名のMersault(ムルソー)は、mer(海)とsol(太陽)の合成語だというのが定説である。社会には現実という非現実が満ちているが、海と太陽は、社会のあり様にかかわらず、ただ存在する。ただ存在しようとする主人公もまた、社会とは縁遠い(異邦人)だ。

 ことほどさように、主人公にシンボリックな名を与えたカミユの伏線の張り方は周到で、訳者もまたカミユの伏線にそって、mamanをママンと訳した。

 カミユが43歳で戦後最年少のノーベル文学賞受賞者となったのは、不条理のテーマを小説にした手腕だけでなく、テーマを描き切る周到な表現構造が評価されたためだ。

 これに対して伏線を持たずに、「じつは」でつなげる物語は、通俗になりがちである。ディケンズの『大いなる遺産』が19世紀の文壇から批判されたのもその点だったと思う。

 奇譚(世にも珍しい面白い物語)は「じつは」文学の代表だが、浄瑠璃や歌舞伎の台本にも、「じつは」で展開する話が多い。「いまは花魁(おいらん)だがそれは世を忍ぶ仮の姿、じつは高貴な姫なのじゃ」などと、突然名乗りを上げたりする。

 たとえば浄瑠璃『義経千本桜・四ノ切』に登場する佐藤忠信。彼は「じつは」子狐だが、鼓の皮になった親を慕い、佐藤忠信という武将の姿になっている。子狐の化身である忠信が、鼓(じつは親狐)を持つ静御前を守る、という話だ。歌舞伎では忠信が狐に早変わりする芸が見どころで、三代目市川猿之助が鮮やかに演じていた。

 このように「面白くするなら何でもあり」の代表が「じつは」の展開だが、見方を変えれば、結果を先に見せて、あとで原因を言う、という倒置法でもある。「因果」を、「果因」にしたに過ぎないとの見方もできるわけだ。

 ということで、歌舞伎や浄瑠璃では、こうした見境のない展開が許される。『大いなる遺産』が当時の批判を乗り越えたのも、同様の見方が出てきたからだ。

 「じつは」、『大いなる遺産』と『異邦人』とには共通点がある。第一は、因と果、果と因という二大要素がしっかりとした骨格を作っていること。もうひとつは、主人公への焦点の当て方である。ピップやムルソーを描くとき、二人の作家は主人公の「存在のふち」に、焦点を当てているのである。

 家には、家の内と外と隔てる造りがある。玄関、壁、窓などがそれだが、しかし見方を変えれば、これらは家の内と外とをつなげている、ということもできる。

 日本ではこの「内と外を隔て、且つつなげる」部分を「縁」と呼び、「縁側」や「縁の下」という概念を作り上げた。カミユとディケンズはまさにこの部分、「社会と隔て、そして社会とつながる」人間の「存在のふち」に焦点を当てた。

 これはもちろんカミユやディケンズの専売特許ではない。小説は多くは「存在のふちのあたり」を描いている。「縁(えん又はふち)」に焦点を当て、そこに打ち寄せる因果を描くのが小説だとも言える。

 小説の「説」とは物語のことだが、「小」の方は、最初は小さく、しかし次第に大きく物語を揺り動かすことになる「縁」の片々のことを意味しているように思う。

 「縁」は仏教にとっても大きなテーマである。仏教の根幹をなす理法だということで、各宗派が「縁起」についてさまざまな説明をしている。さまざまな説明が出てくるのは、「縁」というものに、言うに言われない、説明しきれないものがあるからだ。

 現に古い経典では釈迦に「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである」と語らせているほどだ。それでも「縁起」を端的に説明するものとして、『自説経』の詩文がよく用いられる。

 此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。

 何だ、そんなことか、という感じがあるかも知れない。誰もが折に触れて思うことである。だが仏教は、ここから突然哲学に変わる。『般若心経』の始まり辺りに、

 色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき)
 色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)

 という経文が出てくるのはご存じの通りだ。意味は、

 自分の身のどこを探しても自分という実体はない。体があるではないかと言うかもしれないが、体は何かの寄せ集めに過ぎず、固有の私ではない。だから固有に存在する私はいない。私だけでなく、あらゆる物には実態はない。それを「空」という。空だからいろいろな状態になれるだけである。その状態を「色」という。

 百人一首のつぎのふたつは似ていて紛らわしいが、内容は異なる。

 月みれば千々に物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど 大江千里
 嘆げとて月やは物をおもはするかこち顔なるわがなみだかな 西行

 大江千里の歌はそのままの意味である。しかし西行の歌はもう少し奥がある。「月は私に物を思わせようとしているのか。いやそんなことはないはずだ。それなのに自分は悲しい思いをして涙まで流している」

 つまり西行は、「色即是空 空即是色」を歌ったのである。月も私も実体はないのに、あたかもそこに意味があるように感じてしまう自分であるよ、と少し突き放しているのである。この歌は「月前恋」の題詠となっているので失恋の悲しみを歌ったと解釈されることも多いが、それも含めて西行は「空」である自我と、自分の感情との収め所を模索し続けた。

 西行の足跡をたどれば、誰よりも縁(えん)と縁(ゆかり)を求め続けたことが窺えるが、自らが「空」であることもまた、誰よりも自覚していたのだと思う。彼は時代を生き、時代を味方にし、時代に強くコミットしながら、しかしまたカミュのムルソー同様、時代の異邦人だった。

 そらになる心は春の霞にて世にあらじともおもひ立つかな

 彼は23歳で出家するときからすでに、「空になる心」を自覚していたのだ。

2021/7/3 NozomN

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