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27 メンター

発端

 師の意味のメンターの語源はメントール。似ているのが、はっかの佳い匂いがして薬にもなるメントール(Menthol)。これがメンターの語源だったら良かったのにねえ。スーっとした感じのお師匠だったりして。ついでだけど、はっかのメントールをうっかりメンタム又はメンソレータムと言ってはマズい。これは歴とした登録商標だから。

寄り道

 アイルランドの小説家ジェームス・ジョイスは、ダブリンに住む中年の広告業者、レオポルド・ブルームの一日だけを描いて後世に名を残した。百年にわたる三代記を書いたって名を残せない人が多いのに、そんなのズルイ!というのは下衆(げす)のやっかみである。この小説『ユリシーズ』はその書名の通り、ホメロスのユリシーズを母型にした作品だ。文体も人間の内面描写の点でも斬新で、二十世紀文学の範となった。ジョイスの『ユリシーズ』はホメロスの『ユリシーズ』に完全に対応した小説だから、両方を読むか、対応表みたいなものを手にして読み進めるのが良い。ジョイスの方にも、賢い助言者メントールと呼ばれる男に対応した男が出てくる。ただし絵に描いたような「賢い助言者」としては登場しない。これがそうか、あれがそうかもと、当てっこしながら読めば楽しめる。

ホントの発端

 メントールが本当に登場するのは本物のユリシーズの中である。ラテン語のユリシーズは、原本のギリシャ語では『オデッセウス』といった。ホンダの車名やゴルフのパター名はここから取ったものだ。だいたい商品名の創作に困ったらラテン語かギリシャ語から拾うと相場が決まっているから、そう考えれば、本書をビジネスパーソン座右の書と言っても文句は出ないだろう。話を戻せば、オデッセウス王が長い遠征の途に着いたとき、王妃のペーネロペーを賢く助けたのがメントールであった。すなわちメンターが助言者とか指導教官の意味を持ったのは、ここに発祥したわけだ。

アメリカの功績

 しかしメンターを、今日のようなビジネス人事用語に仕立て上げたのは、アメリカ人の功績である。この呼び方は一九八〇年代に全米に広がり、日本に流れ込んできた。先輩社員が新人に仕事の指導をしながらビジネスパーソンの範となるという考えで、この先輩をメンター、後輩はプロテジェと言った。

日本の影

 とここまで読んで、なんか物々しく言ってるけれど、それって昔からフツーにやってたことじゃない?とのギモンも出てきたことだろう。それはわかる。アメリカ人だってそう思ったに相違ない。だからこそ、トレーナー、トレーニーと簡単に言わず、ギリシャ語のメンター、フランス語のプロテジェを持ち出し「これまでのような只の先輩後輩の関係ではないからね」と力んで見せたのである。しかしメンター出現の背後には日本の影があった!のではないか?

いいじゃないの効果があれば

 と言うのも一九八〇年代は、アメリカのビジネスが一斉に日本を向き始めた頃だからである。ウイリアム・オオウチの『セオリーZ』(Theory Z)は一九八一年の著作で、日本の雇用と経営手法を紹介して、経営書としては爆発的な売れ行きを示した。リチャード・パスカルとアンソニー・エイソスの『ジャパニーズ・マネジメント』(Art of Japanese Management)も、大前研一の『ストラテジック・マインド』(Mind of Strategist)も、同じ頃にベストセラーになった。人の活かし方に主眼をおく日本的経営法が、米国産業の救世主になると信じられた(大前研一はそれが日本的経営の本質ではないと繰り返したが)。そこで日本流のエルダー制度、シスター制度といった徒弟制度の近代版みたいなやり方が、メンター、プロテジェとしてリニューアルされた模様だ。それが逆に日本に入り込み、これまでのやり方と同じだけれど、言い方が新しいので殊更に普及した。でも効果があったのだから、まあいいじゃないの。