書斎から NozomN の書斎から

モリテルさん/ケイコさん

 1971年にリクルートに新卒入社したボクは、最初に〈就職ジャーナル〉編集部に配属となった。初仕事は尾崎盛光さんの原稿をいただきに行くことだった。いまだったらメール添付やファイルの文書共有などで済ませられるが、当時はもちろん手書き原稿を直接受け渡すやり方だった。新人にとって原稿の受け取りは緊張を強いられた。原稿用紙の枚数と総字数を確かめ、ゆっくり読んでいく。疑義をメモに取り、固有名詞や数字に注意する(「名数確認」が合い言葉だった)。できれば文章や全体の構成にも気を配るが、それは新人にはムリだった。こうしたことを先生(筆者はみんな「先生」だった)の目の前でやるのだから、火あぶりにされているように感じるときもあった。

読書

 〈パイプのけむり〉で知られる團伊玖磨は、本職は音楽家ながら文章にうるさく、編集者が原稿に手を入れると怒ったという。たとえ間違いがあっても、それは著者に所属する間違いであって、勝手に直してはならない、というような事例をいくつも聞かされて、著者の元に送り込まれたのだから緊張はいや増した。

 尾崎盛光さんは東京大学事務長という肩書きだった。東大紛争の処理に尽力した人として知られ、憲政の神様と言われた尾崎行雄の縁戚だった。ボクが入社する4年前に『日本就職史』を上梓していたことで、当時は「就職のことなら尾崎盛光」との評価があって、この稼業をやっていく以上、避けては通れぬ人だった。

 初めてお会いした尾崎盛光さんは、拍子抜けするほど気さくな人だった。話が面白く、人柄が温かかった。周りの人たちが「モリテルさん」と親しみを込めて呼んでいた。ボクもいつの間にかモリテルさんと言うようになっていた。ご本人の前ではモリテル先生だったけれども。

 後になって考えてみると、『日本就職史』はとても貴重な著作だった。最近になって社会地理学者の山口覚が『集団就職とはなんであったか』や、日本史研究者の町田祐一が『近代日本の就職難物語』を出すまで、就職の歴史は書き継がれてこなかった。ムリもないことで、文献が少ないのだ。文献が少ないから研究の系統が確立せず、系統の確立がないから知見の蓄積が継続されてこなかった。山口にしても町田にしても、「集団就職」や「高等遊民」というテーマで研究したのであり、就職をテーマにしているが、就職史というにはほど遠い。

 モリテルさんの『日本就職史』も、多くの文献に依拠していた。それはモリテルさんの研究者的な資質の一面で、後の文教大学社会学教授の仕事にもつながった。しかし何より、モリテルさんは世情に通じていた。東大を卒業後に小松製作所(当時は池貝自動車)に就職し、労務課で仕事をした。しかし5年後に肺結核で退職した。手術を受け、農耕、養鶏、子供の受験指導などで生計を立てた。日本中枢産業や目まぐるしく変わる社会のヒンターランド(後背地)から、人々の生計の有り様を静かに見つめていた。東大で事務長を務めながら、学生たちの生計の道をさまざまに広げようとして世話を見た。『日本就職史』は、そうしたモリテルさんの生き方と研究者的な姿勢と毒舌を交えた暖かな人柄が生み出したものだった。

 数日前ケイコさんから『労政時報』が送られてきた。『労政時報』は驚愕の雑誌である。ボクが生まれる前から続いている専門誌で、見れば通巻4000号目前である。昭和5年の創刊だから90周年を迎えているはずだ。戦前、戦中、戦後の出版事情をすべて体験してきたことになる。で、その『労政時報』3988号に、ケイコさんが『2021年卒採用の傾向と対策』を書いたので送ってきてくれたのである。

 ケイコさんは〈文化放送キャリアパートナーズ〉の、〈就職情報研究所〉の所長さんだ。リクルートにも〈リクルートリサーチ〉や〈ワークス研究所〉という調査・研究機関がある。省庁や財団、社団法人が行う調査だけでは立ち上がってこない現実をつかむ上で、民間の調査・研究は重要だ。

 調査の設計には調査手法に通じていることが必須である。しかし肝要なのは調査対象とその背景状況に対する深い理解だろう。また仮説を立てるためのグランドデザインも問われる。いわば学者であり、フィールドワーカーであり、デザイナーであり、最後には文筆家である。調査研究のトップ陣はたいていこうしたスーパー人材で、ケイコさんもその一人だ。

 『2021年卒採用の傾向と対策』については詳しく紹介しないけれど(読みたい人は、会社の総務、人事、労務部門が定期購読しているかも知れない。港区立図書館にはないが国立国会図書館にはある)、お勧めの一点を言うなら、ケイコさんは「就職を考現学的にとらえるエキスパート」だということだ。後に『昭和・令和就職史』が書かれることがあれば、ケイコさんのレポートは間違いなく一級資料になるだろう。

 ということで、ケイコさんは考現学が得意なのだから、考古学にも手を伸ばして欲しい。ケイコさんは以前〈東洋経済〉に、昭和就職史の概要を書いたこともある。一級資料は他の人に委ねるのではなく、ご自身で活用して欲しい。産業、企業文化史や生活史の変遷に目を配り、モリテルさんの就職史を書き継いで欲しい。

 さきほど思い立ってケイコさんが率いる〈就職情報研究所〉のHPを訪ねたら、最新(2月25日)メルマガの取材先が東大のキャリア・サポート室だった。なんと!モリテルさんのお引き合わせかもなあ。

 ちなみにケイコさんは、鈴木秀和さんが主宰するシェリー句会の仲間だった。句会が夜遅くに始まるのでボクの体調ではついて行けなくなって辞めたが、ケイコさんは初めからズッと中心メンバーだ。この句会は音楽評論家の平山雄一くんや、その師で〈わらがみ句会〉を主宰した吉田鴻司先生に連綿していて、いつかこのことは書きたい。

 そう呼んだことはないけれど、ケイコさんの本名は平野恵子さんです。

2020/3/2 NozomN