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鈴木真砂女全句集

鈴木真砂女全句集

鈴木真砂女 角川書店

▶鈴木真砂女は生涯に七冊の句集を出した。『紫木蓮句集』(角川書店)は最後の句集。『人悲します恋をして』(角川文庫)は七つの句集から恋の句を中心に編んだもの。いずれも九二歳(平成一〇年、一九九八年)で刊行された。

▶真砂女は三〇歳(昭和一一年、一九三六年)で激浪の人生に入る。前年には夫が失踪して実家に戻された。実家は千葉鴨川の旅館〈吉田屋〉で、三三歳の姉が女将をやっていた。その姉が小六から幼稚園までの四人の子を遺して肺炎で急逝した。父母の説得で一回り違う義兄と再婚し、吉田屋の女将となり、実の子を加えて五人の子供の母親となった。姉の遺した句を出版しようと、俳句結社〈春燈〉に相談をした。そして姉の句を継ごうと〈春燈〉に入会した。

▶翌年、館山海軍航空隊の士官M氏と恋に陥る。その後を端折って言えば、真砂女七一歳のときにM氏病没。このとき〈(さる人の死を悼む)かくれ喪にあやめは花を落としけり〉と詠み、M氏七回忌には富士霊園に墓碑建立し、〈芽木の空浮雲一つゆるしけり〉と刻んだ。

▶真砂女五一歳(昭和三二年、一九五七年)のとき、「裸で家を出るか、主人の看病をするか」の選択を迫られ(夫は六年前に脳溢血で倒れている)、突然家を出た。作家の丹羽文雄、大和運輸社長、次姉の夫、酒屋の女将の四人が計二〇〇万円を無利子無期限で用立ててくれ、銀座一丁目並木通り幸稲荷の路地に小料理〈卯波〉を開店した。

▶店名〈卯波〉は〈あるときは船より高き卯浪かな〉から「浪」の字を変えて取った。この句には真砂女の思い入れがあったようだ。第一に、この句は第一句集『生簀籠』所収なのに、第二句集の題名に用いた。第二に「卯浪」という季語を、この時を限りに後にも先にも使わなかった(季語索引からの類推だけれど)。第三に、一字を変えて(しかし意味は同じ)店名にした。店のコースターにもこの句を印刷していた。第四に、後年この句を自分の代表句だと語ったことがあった。

▶〈あるときは船より高き卯浪かな〉で、真砂女は何を語ったのか。卯浪(卯波)は四、五月の穏やかな海に時折高まる白波のことだ。サーファーの基準で言えばコシからムネ、あるいはカタの波である。逆巻く大波ではない。その程度の白波が、船より高くなるというのである。普段は多少泡立っている程度の世間が、世に背いた身には突然大波となって襲いかかる。世間のすさまじい咎めに、〈吾が胸に悪魔棲みをり火取虫〉と自棄し、〈向日葵や高々波に向ひ立ち〉と決然する。ふとそのような我が境涯の有り様が、天上から見るように鮮やかに見えたのではないか。西東三鬼の〈穀象の群を天より見るごとく〉にも似ているが、真砂女が見たのは大いなる宇宙ではなく、絶望も誇りも恋情も悔悟も渦巻く、深淵だったのではないか。

▶角川書店で『俳句』編集長をしていた鈴木豊一は、真砂女の本を四冊編集した。彼が二〇一六年になくなるまで書き続けていた〈石榴舎ブログ〉には、鈴木真砂女についてつぎのように記してある。

私は、真砂女の本を四冊編集した。
『銀座に生きる』平成元年四月二〇日、富士見書房
『鈴木真砂女読本』平成八年八月一〇日、角川書店
『句集紫木蓮』平成一〇年一一月一五日、角川書店
『鈴木真砂女全句集』平成一三年三月三一日、角川書店
 手前味噌だが、真砂女最初のエッセイ集『銀座に生きる』の帯文を再録しておく。
 「房州の明るい海辺の町の旅館に生い立った多感な少女がたどる波乱の人生。愛憎流転のドラマと銀座『卯波』開店三十余年の哀歓を赤裸々に綴った感動の半世紀。著者八十二歳、銀座の路地で人の心に灯をともす」。

同書の出版祝賀会が、五月一九日夜、丹羽文雄、近藤啓太郎、小倉昌男らを発起人に東京會舘隣の東商スカイルームで行われた。出席者一五〇名、挨拶が長引いたが、「料理の鮮度が落ちる」と促され、ヤマト運輸会長の音頭で乾杯、と翌日の新聞が写真入りで報じた。

▶細かい話だが、真砂女が五一歳で〈卯波〉を開店したときの資金を用立てた「大和運輸社長」というのは、小倉昌男ではなく、創業者で父親の小倉康臣のことだったろう。康臣は銀座の原料紙問屋の三男で、東京外語学校の夜学で英語を学びながら工場などで働き、二四歳で八百屋の移動販売から身を起こした、立志伝中の人物である。

▶また『銀座に生きる』の出版祝賀会が行われた〈東京會舘〉は、年譜によれば真砂女自身の祝賀会や、先人を偲ぶ会で幾度も足を運んだ場所だ。芥川賞、直木賞の受賞式や記者会見で知られるこの会場は、著名文学者や財界人が会員に名を連ねる場所でもある。銀座は文学と財界の中枢なのである。そうした銀座と代々関わってきた小倉父子が、二代続けて真砂女を支援したところに、真砂女をわが町に迎え入れた深い喜びを感じる。真砂女は、そうした銀座で後半生を生きたのだ。

▶俳句結社〈春燈〉の主宰であった久保田万太郎は、『卯浪』の〈序〉で、句集の二百余句を「三通りに分けることができる」として、つぎのように締めくくった。

かくて、以上の第一、第二、第三、三通りの場合を通じてうけとれるものは何か?
ぼくは、こたへるに、つぎの一句をもってしよう。
恋情にうちかちがたき単衣(ひとへ)かな

▶『日本大歳時記』で「卯波」の項を確認してみたところ、不思議な句に出会った。万太郎亡き後〈春燈〉の主宰を継いで真砂女の師となった安住敦の句が、真砂女の句とともに掲載されていたのだ。
 ひとの恋あはれにをはる卯波かな

▶しかし真砂女は、万太郎が一句に凝縮したように、我が身を一途に生き続け、充足した。
 今生のいまが倖せ衣被

登場元〈快適カチョー生活辞典 04 鈴木真砂女〉

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