草稿ノート草稿ノート

ルネサンス(幻想都市紀行6)

 巖谷國士(いわや・くにお)は、ヨーロッパの町を自分の庭のように歩く人で、あるとき町のあちこちでキリコに出会った。

ジャメ・ヴュ(未視感)とデジャ・ヴュの混淆。正反対のようでありながら、底を通じているようでもあるこのキリコの視覚、キリコの印象を、私もまた、かつて北イタリアの町のあちこちで、共有することがあったように思う。そのたびに、ルネサンスという言葉が、ふつうとはちがう力をもちはじめていたのかもしれない、とも思う。

『ヨーロッパの不思議な町』表紙

『ヨーロッパの不思議な町』巖谷國士 筑摩書房1990 ちくま文庫1996

 ルネサンスとは、再生、蘇生、復興の意味だ。歴史上のある時期に、それまで失われていたと思われていた文化の記憶がいっせいによみがえる、といった現象をさす。

 『ヨーロッパの不思議な町』には、キリコが形而上絵画を盛んに描いたフェラーラという土地が登場する。その地で巖谷の想念は思いがけない広がりをみせる。

キリコの絵画世界はむろん北イタリアの町々にかかわっているが、しかし、じつはこの国の全土にわたって、準キリコ的、偽キリコ的、あるいは超キリコ的な町々がちらばっているのではないか、とも思われる。といっても、どの町もみな似かよっているという意味ではない。それぞれの町に別のキリコがひそんでいてもおかしくはない、というレヴェルのことである。『同書』

 歴史が幾層にも重なった町々で、ふいによみがえり、立ち上がる文化。それがルネサンスで、キリコはルネサンスが立ち上がる契機だ。それがイタリアだけではなく、ヨーロッパ全土にキリコの契機がひそんでいる、という巖谷の感覚だ。

 ポートランドにもキリコがひそんでいる。ポートランドは「ヨーロッパの不思議な町」に似ているのだ。見た目は何気のないアメリカ合衆国の一都市なのだが、よく見てみるとちょっとヘンなのである。

 新型コロナ感染まで、ポートランドで毎年6月に開催されてきたペダルパルーザ・バイク・フェスティバル(Pedalpalooza  bike festival)では、ウェディングドレス着用のブライダル・ライドなど、200以上のテーマ・イベントで賑わっていた。そのひとつに、1万人以上の全裸・半裸のサイクリストが街中を自転車で走り回る、ワールド・ネイキッド・バイク・ライドがある。

 そもそも裸のライダーたちが現れて物議をかもしたとき、市当局が「別に構わない」との判断を下したことで広がったイベントだが、市当局は裸を不問に付した上、ポートランド警察にイベントを警護させた。ポートランドではしばしばルネサンスが立ち上がるのである。

2021/1/30 NozomN

メール