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ヨロコビの社内誌 4 見ることで見つける

商業紙誌の編集では、映像編集などと違って、企画から取材、依頼、フィニッシュまで、すべてをこなす。その意味では、社内誌編集の参考になることが多い。

中でもマガジンハウス、甘粕章さん(故人)の流儀が参考になるだろう。甘粕さんは「平凡パンチ」、「週刊平凡」、「an・an」の編集長を務めた後、「クロワッサン」や「ダカーポ」を創刊した。ぼくがお目にかかったのは「クロワッサン」創刊の一年後だった。

有名誌を担当した編集長が、新雑誌の創刊を成功させるのは容易なことではない。甘粕さんについてもそんな懸念がささやかれていた。ところが甘粕さんは、そんな心配を軽々と乗り越えてしまった。「クロワッサン」のコンセプトは「『an・an』の読者が大人になって読みたい生活雑誌」だったが、甘粕さんは「an・an」の延長の雑誌を作るつもりはなかった。

このとき甘粕さんは50歳を目前で、自分の考えや感覚では企画を生み出せないと考えた。そこで徹底した読者取材を始めた。取材の方法は撮影である。読者対象(40歳前後)の女性の部屋を写真に撮らせてもらったのだ。壁面、家具、浴室、浴材、洗面所、化粧品、ワードローブ、キッチン、キッチン用具、本棚、引出の中身……。甘粕さんはたくさんの写真に埋もれ、読者をイメージし、彼女たちの満足や不満、願望や困惑を捉えようとした。

この話を聞いてぼくは「まるで考現学ですね」と言った。甘粕さんは、「そうそう、それそれ。ぼくがやったのは今和次郎ですよ」とうれしそうに返された。今和次郎は建築学者で(早稲田大学理工学部卒)、民族研究者で(柳田国男に師事)、意匠研究者(東京美術学校卒)というマルチな実践研究者だった。「考現学(モダノロジー)」という分野を世に残したことでも知られる。

考現学とは考古学に対応した言葉で、考古学が現在から過去を掘り起こすように、未来から現在を掘り起こすイメージだ。今和次郎は現在を掘り起こして、綿密に記録に留めた。その記録はデザインとしても一級だった。著書の『考現学入門』(ちくま文庫)は34年前に出版され、いまも版を重ねている。グラフィックな『モデルノロヂオ』は、国会図書館などで閲覧できる。

『考現学入門』「東京銀座風俗記録」目次
『考現学入門』「図11カラー」

▲『考現学入門』中の「東京銀座風俗記録」のグラフィカルな目次(上)。目次の中で男の襟首を指して「第11図」としている。その「図11カラー」(下)では目視調査の統計が示されている。調査は細かなルールが設定された本格的なもの。本書ではこの他に「路傍採集」に多くのページが割かれており、この手法は文化人類学や民俗学のフィールドワークにも影響を与えた。

甘粕さんは今和次郎の手法にヒントを得て、雑誌を構想した。企画を考えることから始めたのではなく、見ることから始めたのである。よく見て、よく観て、よく視て、よく覧て、そして見つけた。

何を見つけたのか。見たものの中に見えてくる不満や不平、つまり希望や願望を見つけたのである。見ることで分かった現実と、見つめることで発見した願望。この現実と願望の隔たりが、企画の元になった。

このように〈現状、願望、隔たり〉を割り出して仕事にかかるやり方は、伝票処理のような単純な仕事でも、経営管理のような複雑な仕事でも同じように活用されるし、平時でもコロナ禍のような緊急時でも活用する、仕事のベースメソッドである。

しかしこの単純なメソッドを実用化するのは簡単ではない。たとえば社内誌の編集者として、「わが社の現状」をどれほど捉えているかを考えてみるといい。アニュアルレポート(年次報告書)も含めて、わが社の強み、わが社の社員の品質、わが社の組織能力についてはどれほど知っているだろうか。

〈現状〉が分からなくては問題が分からない。問題が分からなければ解決は先送りになる。〈現状〉が分からなければ本当の〈願望(目標)〉も見えてこないし、〈現状〉と〈願望〉との隔たりの大きさも理解できない。〈現状〉を知ることは編集をスタートさせる一丁目一番地なのである。甘粕さんの場合は読者の部屋を写真に記録することで、現状把握をスタートさせた。

ちょっと話がズレるけれども、営業の仕事も相手の現状を知ることからスタートする。法人営業の場合は、相手の会社の現状を知ることから始める。相手の会社の現状を知るということは、相手の会社のお客さまを知るということだ。相手の会社は、お客さまを獲得し、頼りにされて商売が継続することに全力をかけている。しかしよく見ると何か欠けている。活かされていない資源がある。そうした〈現状〉を捉えて「わが社の商品やサービスによって解決する」のが法人営業だ。

前回登場したデザイン会社アイデオ(IDEO)は、「その人になってみる」ことでクライアントやクライアントのお客さまの〈現状〉を捉えようとした。

一方〈願望〉は、未来に属している。で、達成までにはそれなりの時間がかかる。この時間が願望達成を狂わせる要素になる場合がある。たとえば飛行機や自動車の開発には長い年月が必要で、その間に社会がどう変化するか、どのような新技術や新素材が実用化されるか、どのような地政学的変動が起きる可能性があるかなど、着地点の世界を予測する必要がある。変化を読み込むのだ。

しかし変化のスピードがとてつもなく速くなった。IT革命が20数年の間に「すさまじく変化する毎日」を作り上げてしまったからだ。工学、医学、生化学などあらゆる自然科学がナノの世界まで掘り下げられ、新技術、新製品、新サービスを爆発的に生み出している。過去100年分の変化を1日で遂げてしまう分野もある。加えて通信と情報技術が世界を瞬時に結びつけ、変化が地球規模で増幅されるようになった。通貨危機も、貿易戦争も、保護主義も、気候変動も、疫病も地球規模になったため、厄災の到来も絶え間なくなった。〈願望〉の設定はこうしたたくさんの変数を考慮しなければならなくなった。

だが見方を変えると、〈願望〉の設定を難しくしているこうした地球規模の多変数問題は、未来の問題であると同時に〈現状〉そのものである。この〈現状〉に対応した〈願望〉があるとすれば、「願望をシンプルに設定できる方法を得たい」ということだろう。この〈現状〉と〈願望〉との間にあるのは、未来との時間的ギャップというよりも、デザインのギャップなのである。

これまでは暮らしも仕事もふたつの大きな制約の中で成り立っていた。時間と場所である。仕事は会社が設定した時間の中でこなしていた。会社が指定した場所で行われていた。時間は仕事を計る単位にもなっていて、工業化社会以降は時給が報酬の基礎になっていた。この制約がゆっくりと解かれ始めている。この変化は〈願望〉設定をより複雑にする要因でもあるが、見方によっては〈願望〉設定をシンプルにするカギでもある。生活と仕事から、時間と場所の制約を取り払った新デザインが待たれているのだ。

現在の社内誌に新しい方向があるとすれば、生活と仕事の新デザインを、経営、社員、顧客を巻き込んで模索していくことだと思う。なぜならそれが社員に対するもっとも重要な情報サービスになるし、会社が新しい事業デザイン、商品デザイン、組織デザインを求めているからだ。そのような変化の基点は、従来は経営だった。だが、会社変革の基点もデザイン変更した方が良いかも知れない。その基点が社内誌であっても良いだろう。

2021/3/10 NozomN

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