草稿ノート草稿ノート

形而上都市(幻想都市紀行7)

 ポートランドは、都市に特有の利害や打算を退けて、まずは理念を中心に置く青臭い都市である。

 都市では利害の対立が細分し、多極に向かいがちで、あちらを立てればこちらは立たず、こちらを立ててもそちらはダメで、進むも退くも、泥田に足を取られて身動きできなくなる。ところがポートランドでは、利害よりも理念の方が幅を利かせている。いや、理念がすべての真ん中にある気配なのだ。

 理念は英語ではアイデア=ideaと言う。これはプラトンの「イデア」が源流の言葉だ。プラトンと師のソクラテスは、目に見えるものは真実の影であり、現象の背後にこそ本当の原因や実在があると考え、それを「イデア」と名づけた。

 プラトンの弟子のアリストテレスは、師のイデア論を「メタフィジカ(形而上学)」としてまとめた。現実とは仮の世界に過ぎず、真実はその背後にあると唱えたのである。

 メタフィジカは形而上学と訳され、逆に形而上学はメタフィジカと訳された。お互いに訳語があるということは、洋の東西で同じ概念が生まれていたということだ。

 東洋では、易占いの指導書である『易経』に「形而上」という言葉が出てくる。この書は易占いのテキストではあるけれど、概念の定義の本でもある。概念の定義は哲学の仕事だから、『易経』は実用書でありながら、哲学書でもあるという珍しい本だった。で、「形而上」は『易経』の中でつぎのように語られる。

 形而上者謂之道 形而下者謂之器

 形よりして上なるもの、これを道(どう)といい、形よりして下なるもの、これを器という。

 意味は、「道(どう)」は形がないものであり、物事の本質である。形のないものが実態に変われば形而下となり、その状態を「器」と言う。「道」は「器」の本質であり、「器」は「道」の一現象である、ということか。

『易経』表紙

*『易経』(上・下)高田眞治、後藤基巳訳、岩波文庫 人生の指針とか処世の立場から易経を語る本はたくさんあるが、原典そのものを翻訳・解説した本は少ない。入手しやすいのは岩波文庫版。

 見えていることは表層に過ぎず、その背後に本質がある、というのが形而上(メタフィジカ)の考え方だ。ポートランドでは、そのような形而上を、よく体験する。ポートランドの「道」は、『易経』で言う「道(どう)」とはちがうのだが、かすかな符合が窺えて不思議だ。

 と言うのも、ポートランドでは、道の作り方によって「道(どう)」(形而上、本質)を具現しているからだ。第一に、道によって仕切られる土地の区画が小さい。第二に、住宅地では道幅が狭い。

 道で仕切られた区画をブロックと呼ぶが、ポートランド市街の1ブロックの長さは61mだ。米国の一般的なブロック長は122mだから、半分の長さである。ただそれだけのことなのだが、下の図を見て欲しい。

ポートランドの道路

 線を道、丸を交差点と見立てる。で、ブロック(区画)の長さを半分にすると、交差点と角地は2.8倍になり、区画は4倍になる。交差点が増えると、人々の歩くスピードが落ちる上、出会いが多くなるという寸法だ。

 その上、ダウンタウンの四つ角にあるビルは、カフェなどを誘致することが推奨されている。カフェの前の歩道はアウトテーブルが認可されているので、多くの人々がそこに留まり、歩行はゆるく流れることになる。

 住宅地では道の幅にも工夫がある。道幅が20mと狭い。ブロックと道幅を合わせて約80mとしている(これは1マイル(1.6km)を20で割って算出した数字だ)。

 道幅が狭いわりには、歩道の幅は広くとってある。また道の両側にはクルマが停まっていて、クルマの行き交いに使える道幅は一層狭くなる。住宅地では路上パーキングが許可されていることが多いためだ。

ポートランドの道

 道幅を狭くし、路上駐車を許したことで、クルマは自由に行き交えなくなる。一台が通ると、対向車は少し脇によけてやり過ごさねばならない。前方を注視して、対向車の有無を確認しながら運転することになる。

ポートランドの道

 いきおいクルマはゆっくり走る。地域の幹線道路以外では横断歩道が少ないので、ゆっくり走るクルマの間を、人が横断する。横断する人がいると見れば、クルマはかなり手前で停まる(これはクルマのマナーだけれど)。

 このような道作りはもちろん意図的なもので、歩く人や自転車に乗る人の安全が第一なのだが、その背後にあるのは、「住民のコミュニケーションを促進」することであり、さらにその裏側には「多様性の受入れ」というイデアがある。

 コミュニケーションとは話し合うことばかりではない。近隣の気配や様子を、お互いに何気なくわかり合えていることが大事だ。多様性の受入れは理念だけでは成り立たない。多様な人たちが日常的に、いつも顔を合わせていることが大事だ。それを道の作り方で具体化し、ポートランドはイデアを形にしてみせた。

 ついでに言えば、四つ辻が多くなったことで、角地が多くなり、ポートランドの不動産価値はじりじりと上昇してきた。

2021/3/20 NozomN

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