草稿ノート草稿ノート

ポートランドのななつ名(幻想都市紀行9)

 日本左衛門も独眼竜もよくできたふたつ名だけれど、ポートランドは〈バラの都=City of Roses〉というふたつ名では間に合わない。

 第1に〈グルメの町=Gourmettown〉の名が思い浮かぶ。ダウンタウンはもちろんだが、100余に分かれた〈ネイバーフッド=Neighbourhood、地区、界隈〉には、それぞれ評判のレストランが目白押しだ。腕に覚えの料理人が集結し、フードカート(屋台)で起業し、評判を取り、やがて店を構える、というサイクルも確立されている。自然にそうなっただけではない。ポートランド市が、条例や環境を整備して後押ししてきたのだ。

サラダとビール

 第2に〈ロコビールの町=Beertown〉である。小さなビール製造所(Micro Brewery)が70以上もあって、その数は世界一だという。ブリュワリー直営のカフェはもちろん、クラフトビールを扱うレストランの店員たちは、ビールについてじつに詳しい。小物店ではビール日記帳が売られていて、たしかにこうしたノートがないと、数ある個性的なビールの記憶がどんどんあいまいになりそうだ。

ビール日記帳

オレゴンシティの雑貨屋さんで売られていた「ビール日記帳」

 第3に〈自転車都市=Bike City USA〉である。なにしろ1975年には『自転車マガジン』誌がポートランドを「自転車ナンバーワン都市」に選出した。2003年には〈全米サイクリスト連盟〉から「自転車にやさしい地域・金賞」が授与された。町中に張り巡らされたサイクル・レーンは500キロメートルに及び、将来は1000キロになると言われる。自転車通勤率は7%で全米一、自転車フェスティバルはスケールが大きく、世界中から人が集まる。自転車にやさしいというのは、バイクロードの充実だけではない。町中のいたるところに、馬の繫ぎ場よろしく、自転車を停めるバーが設置されている。クルマもそうだが、乗り物は停めている時間の方が多いことを、この町の行政も民間施設もお店も、よく知っているのである。

サイクリングする人
自転車置き場

 第4に〈橋の町=Bridgetown〉である。州都のセイラムとポートランドを結ぶ〈ウィラメット川=Willamette River〉は長さは300キロメートルで、一つの州の中だけを流れる川では全米で最大の面積を持つ。流域は〈ウィラメット渓谷=Willamette Valley〉と呼ばれる盆地で、オレゴン州の人口の7割がここに住んでいる。だから川の東西を結ぶ橋は重要で、ことにポートランドのダウンタウンと隣接地区は、8つの橋で固く結ばれている。ワシントン州との州境にある〈コロンビア川=Colombia River〉につながって海運への水路にもなってきたから、8つの橋は橋桁が高く、あるいは古い橋は跳ね橋になって、船が航行しやすくなっている。ポートランドのダウンタウンは、まず圧倒的な橋の景観から始まるのである。

ウィラメットリバーに架かる橋

 第5に〈クラフトの町〉であり、〈ジーンの町〉である。ポートランドがいまの町作りを始めてから、全米各地から多くのクラフターが集まった。ヒッピー文化の名残とも言えるが、ヒッピーを都市と自由精神とハイテクでふるいにかけたような、独特なクラフトワールドを形作った。手作りの小規模印刷や、少部数のジーン(ひとつのテーマで編まれた小雑誌)のメッカになっているのも、同じ流れだろう。昔からあるサタデーマーケットも有名だけれど、小規模クラフターたちを全部合わせてモールと見立てた〈Little Box〉は、ポートランドが生んだ新たなエンターティナー・マーケティングだ。

 第6に〈トライメット=TriMetの町〉である。市交通局は、電車路線の拡張とバス路線の充実とに注力してきた。交通計画が巧みで、Park&Rideの駅もふくめ、新設路線の利用率がほど良いのである。関係するネイバーフッドの住民の意向を汲む仕組み(世界にも珍しい直接民主制の行政)に拠るところが大きい。電車・バス路線の拡充とパラレルに広がってきた自転車利用との親和性も、TriMetの功績のひとつだ。

バス

 第7に〈コーヒーの町〉である。コーヒーのセカンド・ウェーブはシアトルのスターバックスやタリーズに始まったが、サード・ウェーブはノースカロライナ州ダーラムの〈カウンターカルチャーコーヒー=Counter Culture Coffee〉、イリノイ州シカゴの〈インテリジェンシアコーヒー=Intelligentsia Coffee〉、そしてポートランドの〈スタンプタウン・コーヒー・ロースターズ=Stumptown Coffee Roasters〉が主導した。とりわけ中心になったのがポートランドで、いまも他を圧倒している。たくさんの小さなロースターがあり、それぞれが世界中から気に入りのコーヒー豆を直接買い入れている。だから味がハッキリしている。店はゆったりして混んでいない。客回転率は追わず、小さく持続することを目指す。コーヒー豆の高品質と、焙煎やドリップの高技術と、町に溶け込んだ空間とを、ゆったりした文化として結実させようとしている。ポートランダーがそうしたコーヒー店をしっかり支持し続けているため、スターバックスやタリーズの進出はごく限られている。

カフェ

 ポートランドがいくつもの分野で世界の先頭に立ち、注目を集めたのはそれほど古いことではない。2000年代に入って注目され始め、2007年に「環境に優しい都市」として全米第1位になり、「全米でもっとも住みたい都市」のトップであり続けた。2008年には、グリスト誌が世界第2位の「環境都市」に認定した。(第1位はアイスランドのレイキャヴィークだった)。

 こうした評価を得るための長い土台作りの時代を含め、ポートランドの成功の主因は、気骨のある哲学に基づいた構想と、住民の運動とが結びつき、独特の行政をやり通したことにある。いまでは世界に広がった持続可能性という考えもポートランドが源流だし、ゴミの分別回収システムから雇用維持策まで、およそ人を気持ちよくさせるための仕組みを生み出す先頭に立ってきた。そうした意味から言えば、ポートランドの8番目のふたつ名は、〈新世界をめざす都市たちの静かな旗=Quiet flags of cities aiming for the New World〉(Googleで英訳)だと言えるかも知れない。

ゴミ箱

色で分別されたゴミ箱。各家に一セット。

 個人的な感覚で言えば、ポートランドの冬季は雨が気持ちよい。それは住民の感覚でもあるようで、〈雨と傘の町〉をテーマにしたアートやグッズが秀逸だ。

ファーマーズマーケット

ダウンタウンで開催されるファーマーズマーケットの印も傘。

 ポートランドを森の中にできた町みたいだと言う人もいる。オレゴン州は東に山を持ち、西が海岸に接し、水が流れる中心部にポートランドがあるから、大きな木がよく育つし、それらの木々を保水に役立てて都市を作ってきた。一時は木材業が盛んだったから、〈スタンプタウン、切り株の町〉の異名もあった。

 〈グリーン・インフラ〉はポートランドの専売特許ではないけれど、この言葉が使われる前から「自然をなだめ、自然を取り込み、自然を生かす」ことに力を注いできた。都市の地下に巨大な水瓶を抱えて治水、利水に活用する仕組みは京都の町とそっくりである。いずれも水が美味しい町であることが自慢だ。

 もうポートランドを語るのに、ななつの名では収まらない始末だ。おしまいにあえて付け加えるならば、ポートランドは〈ポートランダーの町〉である。ポートランダーの合い言葉は、「Keep Portland Weird」。町のあちこちで見かけるフレーズだ。weirdは「奇妙な」という意味だから、「奇妙でいこう」というところか。あるいは「トンガっていこうぜ!」と言ってもいいだろう。これが市民のスローガンなのだから、〈ポートランダー〉は世界に又なき市民なのである。

Keep Portland Weird

2021/4/4 NozomN

メール