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34 理想のマネジャー

コーポレート・カルチャー

 一九八二年に、『コーポレート・カルチャー』という地味なタイトルの本が米国で出版された。著者の一人アレン・ケネディはマッキンゼイの経営コンサルタント、もう一人のテレンス・ディールはハーバードの教授だった。彼らは超一流の企業には強い文化があり、超一流を続けるにはその文化の保持が必要であることを発見した。今ではよく聞くような話も、当時は新奇な大発見だったのである。

シンボリック・マネジャー

 ところでこの本に着目し、意欲的に翻案に取りかかった御仁がおられた。企業小説の泰斗と申し上げても宜しい城山三郎さんその人であった。城山さんは五六歳にして初めて翻訳を手がけたが、流石に並の経営コンサルタントの翻訳とは違っていた。ことにタイトルの翻案が白眉で、『シンボリック・マネジャー』と命名した。このタイトル一つで、日本では経営書のベストセラー街道をまっしぐら。ついでに、シンボリック・マネジャーという言葉は米国に還流して、『コーポレート・カルチャー』の売れ行きにも拍車がかかった。恐るべきはネーミングですなあ。

コーポレート・カルチャー

 それにしても『コーポレート・カルチャー』は、なかなか大した書であった。それまで優れたマネジャーとは、いろいろなマネジャーらしい能力をたくさん持っているヒトだと考えられていたし、今でも広くそう信じられている。その証拠に、いろいろな能力を全部バラバラにして最小単位にし(これをモジュール化と言う)、評価項目を作り、それを採点して総合得点やらレーダーチャートやらを使ってマネジメント力を決めるやり方にまで発展したくらいだ。しかし『コーポレート・カルチャー』は、そんなコマカいことは言わない。「ウチの会社ではコイツが一番エライ!」という人間を選び出して「ソイツにならえ!」とやれば上手くいくと唱えた。

シンボリック・マネジャー

 一番エライ!マネジャーを象徴的管理者、すなわちシンボリック・マネジャーと呼んだのはもちろん原書である。「いま最も求められる人材――シンボリック・マネジャー」という章はこの本のハイライトである。それだけに本家としては、シンボリックを書名に冠しなかったことを悔やんだに違いない。

誉れ

 日本ではシンボリック・マネジャーという言い方はなかったが、郷土の誉れ、国の誉れ、という言い方が昔からあった。想像だが、アメリカ・インディアンの世界にもあったろう。集団に求心する文化があり、価値の共有があれば、誰が誉れで何が誉れかが明らかになるからだ。今や求心と価値の所在は国や郷土ではなく企業にあるから、経営コンサルタントからこのような発想が生まれても不思議ではないということだ。

消息

 しかし必然から生まれたかに見えるシンボリック・マネジャーも、年数を経て一向に深まりも広まりもしなかった。例えば一番エライ奴を選んで、まずソイツの給料を決め、ソイツとの距離で段々に他の社員の給料を決めていくというような、骨太の給与決定システムが開発されたとは聞いていない。凡百の研修はあるが、シンボリック・マネジャーと共に一日ゆっくり語り合って薫陶を受けるなどの、清冽なプログラムが出現したという話も聞かない。何故なのかなあ。