書斎から NozomN の書斎から

水に流す

 大発見、と言うほどではないけれど、常々悩んでいた問題が解決できた。この半年、いろいろ試してきたので、成果は確かだ。この発見に、理化学研究所も文句はないだろう。

 シャンプーブラシが臭く思えるようになっていた。加齢のせいかも知れない。臭くならないように、使った後でよく洗うようにした。しかしつぎには、また臭くなっている。雑菌が繁殖しているのだ。

 石鹸で丹念に洗ったり、歯ブラシで洗ったり、いろいろ試したが臭いが取れない。あるとき、ふと思いついて洗面器に水を張り、その中に入れておいた。するとまったく臭わなくなった。子供のころ、正月の切り餅が黴びるので、水餅にしていたことを思い出したのだ。

 だが、洗面器はモノを漬ける道具ではない。水を張ったままだと何かと不便である。それに困っているのはシャンプーブラシだけではなかった。タオルや手拭いも、ヘタをすると臭くなる。これを水に漬けておいては、使い物にならない。で、ぼくはまた、研究への長い旅に出たのであった。

 粒々辛苦、臥薪嘗胆、ぼくは旅の途上で小さな目撃をした。家内が洗濯機で洗ったものを干し終わった後、食器を拭くふきんだけを水で手洗いしていたのだ。ぼくはこの目撃をムダにせず、自分が使うタオルや手拭いも手洗いしてみた。すると臭いが激減した。もう少しだ。

 結局、手洗いに洗面器を使わず、流水で洗うと臭いが取れることがわかった。想像だが、溜めた水で洗えば、その水を何度取り換えても水中に雑菌が残る。流水で洗えば、果てしなく雑菌を流し落とすことになる。そこがポイントなのではないか。

 以来、身の回りの小さなものは、たいがい流水で洗うようになった。流れる水は腐らない、転石にコケは生えない、使う鍬は錆びない、繁盛の地に草は生えない、精出せば凍る間もなし水車。だんだん本筋から外れる気配だが、こうした言葉を見れば、流水の効能の発見に、それほどの新味はなかったのだ。

 2015年の国連サミットで採択された画期的な目標が、SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)である。「エス・ディー・ジーズ」と読む。最後のsが小文字なのは、頭文字ではなく複数形のsだからで、末尾を「ジー・エス」と読むと、意味が違ってしまうのだ。

 SDGs(もう一度、エス・ディー・ジーズ)では、2030年までに、世界が健全に生き延びるための17の目標テーマを掲げた。その6番目の目標が「安全な水とトイレを世界中に」である。これはなかなか深刻なテーマだ。

 世界の人口は、現在80億人を超えたくらいで、いずれ100億人を超える。そうすると全人口の半数、50億人ほどが水不足にさらされ、25億人が慢性的に水不足の影響を受けると予測される。深刻なのは、水を大切に使う、というような心得では乗り切れないことだ。食糧問題も同様である。

 それでも、いまも水不足に苦しめられる人たちのことを思えば、流水の効用などを述べている場合ではない。不謹慎とも言えるだろう。ということで、この稿の効用に感嘆を禁じ得ぬとしても、どうか控えめに受け止めていただきたい。ついでにぼくの至らぬ発言も、どうか水に流していただきたい。

2021/1/20 NozomN

   

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