書斎から NozomN の書斎から

ステイわからない

  教わることができない人がいるものである。
  彼は、昨日初めて私のレッスンを受けに来た。
  そして今日は私にゴルフの極意を教えようとしている。

 トミー・アーマーの言葉である。トミー・アーマーといえば『ベスト・ゴルフ』である。もう新刊としては売っていないけれど、世界で最も売れたゴルフレッスン書だ。1953年に出版された。日本では5年後に翻訳本が出た。

『ベスト・ゴルフ』の表紙

▶これは1964年の版。旧版ともども実業之日本社から出ている。

 トミー・アーマーはレッスンプロとして一世を風靡したが、れっきとしたツアープレイヤーでもあった。アマチュアでフレンチ・オープンに優勝した後プロに転じ、18年間で25勝した。全米オープン、PGAチャンピオンシップ、全英オープンでも優勝した。まあ、スゴイ人なのである。

 トミーの本がなぜ世界中でロングセラーであり続けたのか。それは「短く」「シンプル」だったからだ。この表紙の絵はインパクトの瞬間を表しているが、スイングに関する絵は、この本の中では他に3つしか出てこない。アドレス、バックスイング、フォロースイングが加わっているだけ。

 彼は1998年の新訂版で、「この本では装飾は取り払っている。ブランコの中間段階を示す何十枚のイラストが、本当に必要な集中を妨げるからだ」と書いている。ホントだねえ。

 ところが、プレーヤーとして輝かしい戦歴を誇り、飾りやもったいや水増しを取り払って本質を教える彼のレッスンを受けて、「私にゴルフの極意を教えようとしている初心者がいる」というのだ。これは、わかる。いる、いる。

 しかしまさか、さすがにトミー・アーマーを相手にゴルフを教えようという猛者は、いないのではないかなあ。そう見えてしまっただけかも知れない。ものの教え方、伝え方の教えは多いけれど、教わり方、受け止め方の教えが足りないので、こんなことが起こったのかも知れない。

 シンプルで分かりやすいからといって、プロの教えがすぐに身につくものではない。わかる、ということは、自分が思考し直して納得したり、自分の身体の動きに当てはめて体得するものだから、自分なりの表現に変えてわかろうとする。それが思わず口に出てしまったのではないか。「あんたが教えていることは、言い換えればこういうことだよね」と。

 しかし、たいていの場合、違うのである。普段の会話でさえ、「AはBで、BはCだから、AはCなんだよ」と伝えて、「つまり、みんな同じということですね」と返され、「ちょっと違うんだけどなあ」と思うことはよくある。

 ぼくの経験だけど、人から教えてもらったことを、10年も経ってから、あ、こういうことだったのか、とわかることがある。それからまた経って、いやいやこれだったんだ、とわかり直すこともある。先人の教えで、すぐにわかることがあるかもしれないけれど、わからないことだってある。トミー・アーマーのスイングをいくら上手に教えられても、数日や数ヶ月で会得できるものではないのだ。そんなときは、「わかろうとしているけれど、よくわからない自分である」ことをキープすることが大事なのではないだろうか。ステイわからない、という忍耐である。

 あれ、ここまで書いてきてちょっと不安だぞ。大事なことをわかっていないのに、わかったようなことを言っている自分である、になってしまったのでは?うーん、そこがよくわからんなあ。

2021/2/3 NozomN

   

メール