草稿ノート草稿ノート

吉田兼好/小林秀雄

 3月13日の〈today &〉に、「世の中は心の写し兼好忌」の句を付けた。句とは言っても句もどきだが、いちいち恐縮するのも煩わしいので、句と言う。ということで、兼好忌に寄せて気になっていることを少し。

徒然草

 吉田兼好の『徒然草』は、そのまま読んでも意味がわかりやすい上に、中身がとても濃い。だから岩波文庫の『新訂徒然草』のような原文と脚注だけでも読めるし、佐藤春夫、中野好夫、橋本治などの現代語訳も、それぞれに面白い。

 ボクが持っている岩波の『新訂徒然草』は、2006年112刷となっている。初刷りは1928年で西尾実が校注した。現版は4訂版で、西尾実・安良岡康作校注となっている。西尾が亡くなった後、安良岡(やすらおか)が校注を引き継いだのである。

 この4訂版の表紙には、ステキなリードが書かれている。

『徒然草』の面白さはモンテーニュの『エセー』に 似ている。そしてその味わいは簡潔で的確だ。一見無造作に書かれているが,いずれも人生の達人による達意の文章と呼ぶに足る。時の流れに耐えて連綿と読みつがれてきたこのような書物こそ, 本当の古典というのであろう。懇切丁寧な注釈を新たに加え,読みやすいテキストとした。

 なかなか達意の文である。ちなみに日本の三大随筆と言われるのは本書と『枕草子』『方丈記』だが、岩波文庫の『枕草子』のリード文は平板で、『方丈記』にはリードがない。『新訂徒然草』のリードだけが、なぜか断然光っているのである。

 で、「『徒然草』の面白さはモンテーニュの『エセー』に 似ている」とのことだが、これはどんなものだろう。『エセー』の初版は1580年で、『徒然草』は1331年か1349年には世に出た。『徒然草』の方が200年以上も先輩なのである。本来なら、「『エセー』の面白さは吉田兼好の『徒然草』に似ている」と書くべきではないだろうか。

 もちろん出版年だけが比較順序を決めるわけではない。後世の評価こそが問題である。その点では『エセー』の評判は確かに高い。アウエルバッハは『ミメーシス』で、「モンテーニュは『エセー』において、人間の生活、自分の生活を洞察した初めての作家である」と書いている。(訳書は『ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写 上・下』

 アウエルバッハは文芸評論家であるが、同時に文献学者であり、比較文学研究者であった。彼は『ミメーシス』で、「文学は現実の模倣表現である」という仮説を立て、文献学と比較文学の手法を駆使し、ヨーロッパ文学の表現の歴史を解き明かした(ミメーシスは模倣の意味)。しかも対象としたのは古代から現代までの3,000年間に及ぶ。

 余計なことを加えれば、『ミメーシス』はホメロスの『オデッセイア』で始まり、ジョイスの『ユリシーズ』で終わる。ユリシーズはギリシア語であるオデッセイアのラテン語・英語読みだから、同名のタイトルを始まりと終わりに配したのである。しかもジョイスの『ユリシーズ』は、『オデッセイア』の構成を正確に模倣し、登場人物を正反対にした。

 アウエルバッハはこうした構成配置も表現のひとつと考え、模倣、輪廻、対称などを象徴したかったのだろうか。先例はある。たとえば松尾芭蕉の『おくの細道』がそれだ。旅立ちの初句を「行く春や鳥啼き魚の目は泪」とし、結句を「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」として作品構成を対称化させた。あるいは全体を屏風に見立て、序破急の能の舞台に見立て、構成を重層化させた。この二作の傑出は、どこかでつながっているのだろうか。

 それはともかく、『ミメーシス』は文学表現の地図と歴史を初めて明らかにしたことで、世界の作家と文学研究者に大きな衝撃を与えた。本書の強みは何と言っても研究者的な実証性だが、ときどき、文芸評論家的な評価が顔を出す。モンテーニュに関する考察がそれで、『エセー』を手放しで評価しているのである。

 岩波文庫の編集者は、たぶんこうした世評を背景に、「『徒然草』の面白さはモンテーニュの『エセー』に 似ている」と書いたのだろう。無理からぬことだが、同じように吉田兼好とモンテーニュを比して書いた、小林秀雄のつぎの文章はどうだろう。

兼好は誰にも似てゐない。よく引合ひに出される長明なぞには一番似てゐない。彼は、モンテエニュがやった事をやったのである。モンテエニュが生れる二百年も前に。モンテエニュより遥かに鋭敏に簡明に正確に。文章も比類のない名文であって、よく言はれる枕草子との類似なぞもほんの見掛けだけの事で、あの正確な鋭利な文體は稀有のものだ。一見さうは見えないのは、彼が名工だからである。「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感してゐる自分の事を言ってゐるのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文體の精髄である。(小林秀雄全集8の「徒然草」から引用したが、手に入れやすいのは新潮文庫の『モオツァルト・無常という事』

 小林秀雄が兼好に入れ込んでいることを指摘する人もいるが、そうかも知れない。小林が書く兼好を読むと、小林秀雄のことが書かれていると錯覚することがあるからだ。たとえば、

兼好は、徒然なる侭に、徒然草を書いたのであって、徒然わぶるまゝに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、眼が冴えかへって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、「怪しうこそ物狂ほしけれ」と言ったのである。

 小林秀雄が目に浮かぶ。この知性の巨人が、何事にも心が紛れず、目ばかりが冴え返り、物が見え過ぎ分かり過ぎる辛さを、いささか持てあましている姿が。小林にとっても「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」がことさら痛切だったろう。

 ところで、妙観が刻んだ香木が、箕面市の勝尾寺に安置されている。そこを訪ねたい気持ちがしきりだ。

2020/3/14 NozomN