草稿ノート草稿ノート

喜寿の花子

 四代目坂田藤十郎が逝った。

 四代目というと年輪が浅いようだが、1774年に三代目がなくなってから231年ぶりの藤十郎だった。初代は菊池寛の小説『藤十郎の恋』のモデルにもなった芸の鬼で、『夕霧名残の正月』で伊左衛門が当たり役になり、「夕霧に芸たちのぼる坂田かな」と詠まれた名人だった。この伝説的な名跡を継げる者は、300年余の間に2人しか出なかったのである。

 2007年の暮、ぼくは南座の顔見世に出かけた。中村信二郎が二代目中村錦之介を襲名披露する興行だった。中村錦之介とは、子連れ狼を演じた萬屋錦之介の前の名前である。

 中村錦之介は歌舞伎の家の子だが、映画界に進出して歌舞伎を離れた。その名跡を甥の中村信二郎が55年振りに復活させるということだった。

 しかし、と言うと信二郎には失礼だが、この顔見世の楽しみは坂田藤十郎の『京鹿子娘道成寺』だった。藤十郎は2年前までは三代目中村鴈治郎でしかも人間国宝。その鴈治郎が四代目坂田藤十郎を襲名披露したのも、この南座の顔見世だった。

旧南座

▲四条通と鴨川に面した旧南座。師走の日は落ちかけて西日に照り返り、午後の部を待つ。

 鴈治郎の藤十郎襲名は75歳のときだから、このとき77歳、喜寿であった。その77歳が娘道成寺の白拍子花子を踊るというのである。

 70歳での8千メートル峰のチョモランマに登頂した三浦雄一郎も凄いが、芸では年齢のハンデキャップが効かない。頑張って踏ん張ってなお、頑張りも踏ん張りも見せてはならない。やわらかく、幼く、激しく、そしてハッとするほど美しいのが、白拍子花子の踊りだ。

 それは、ボクのような素人の目にも、見事な舞台だった。坂田藤十郎の77年間の人知れぬ鍛錬と精進とを思った。並の人間が何度生まれ変わっても、遠く及ばないような修練の日々だったろう。このような世界で生きている人もいるのだと驚嘆した。

南座プログラム

▲写真は京都四条南座発行のプログラムより

 『京鹿子娘道成寺』の全体は道行、問答、長唄で構成されている。幕が開いて「聞いたか、聞いたか」「聞いたぞ、聞いたぞ」と言いながら大勢の所化が登場する。所化とは教化されることを言うが、そこから修行僧(坊主)の意味に転じた言葉。ここでは「聞いたか坊主」とも呼ばれる。

 歌舞伎舞踊の頂点にある『京鹿子娘道成寺』は、約1時間をひとりで踊り切る。踊りの種類は11種あり、それぞれに表情も技術も違う。ウィキペディア「京鹿子娘道成寺」の項を参考に略記すれば以下のようになる。

第1段〈道行〉花道から花子。義太夫で花子の鐘に対する恨みを語る。〈問答〉花子と所化の問答。〈長唄〉白拍子の一人舞台。/第2段〈乱拍子〉花子が烏帽子を付け能をまねて踊る。/第3段〈中啓の舞〉中啓(扇)を持って踊る。歌詞は能の三井寺から取った鐘づくし。/第4段〈手踊〉恋の切なさを娘姿で踊る。/第5段「鞠歌〉少女の鞠つきをまねて踊る。歌詞に遊郭を詠み込む。/第6段〈花笠踊り〉古い流行歌「わきて節」に乗せて赤い笠を持って踊る。/第7段〈手ぬぐいの踊り〉女の恋心(くどき)の歌詞に乗せて。/第8段〈山づくし〉22の山の名前を詠み込む。胸に鞨鼓(かっこ=鼓の一種)をつけて踊る。/第9段〈手踊〉少女らしい踊り。/第10段〈鈴太鼓〉鈴太鼓を手に持って踊る。テンポの速い踊り。田植え歌。/第11段〈鐘入り〉 鐘に取り憑く。

 この舞台の3日後ボクはまだ京都にいて、夕食前に京都御所を散歩していた。雨が降っていて少し寒く、通りに出たところで〈甘楽 花子〉という看板を見つけた。小さな和菓子屋で、名前に惹かれ、雨を脱ぎ捨てるようにして店に入った。

 和菓子もだが、お茶が旨いので銘柄を訊いてみると、それまで無愛想に見えたご主人が「一保堂の濃茶で〈和の昔〉というのを使っているが、旨いと思うのは水のせいでしょう」と顔を柔らかくして言う。

和菓子とお茶

▲一保堂の〈和の昔〉でいただいた〈甘楽 花子〉の菓子。お茶の名前は茶道の家元が決める。同じお茶でも流派によって名が変わる。

   

 ひとしきりの水談義の後、ご主人がこんなものを作りました、と色紙を取り出してきた。そこに「菓子習ふ若き娘等はじめての直火つかひて餅練り上げぬ」とある。

色紙

 平成20年の歌会始の詠進歌のお題は「火」であるから、それを詠み込んだ歌だという。最近の和菓子屋らしく、和菓子の伝統を絶やさないようにと素人の娘たちを集めて餅作りを教えている、その一コマを詠ったものだろう。初めての餅作りにも直火にも驚いた娘たちが、慣れぬことをやり遂げた。その誇らしさが「餅練り上げぬ」によく表れている。ご主人の誇らしさもそこに重なっている。

 こうした詠進歌は「菓匠会をはじめ、ちょっとした菓子屋なら毎年必ずお題を詠み込んで店に掲げる」とのことだ。菓匠会とは、京都らしく新規入会のない京菓子の名店21店の集まりである。

 藤十郎の花子に引き合わされたような菓子屋〈花子〉であったが、こちらの方は「はなご」と読む。翌2008年3月、東京の歌舞伎座興行では、藤十郎の白拍子花子が再び花を咲かせていた。

2020/11/23 NozomN