書斎から NozomN の書斎から

良い一日

 出張が多かったころ、土地の魚市場に行くのが楽しみだった。博多なら漁港にある長浜鮮魚市場か、那珂川沿いの柳橋連合市場、金沢なら近江町市場といった具合だが、小さな漁港、小さな商店街に集まる魚市場も面白かった。

 宿泊する日は、夕方の閉店過ぎに見に行く。あるいは早朝の開店前に、散歩がてらのぞきに行く。帰りがけに寄る店の見当をつけておくのだ。

 店々が閉じたころの風情がとくに好きだった。籠やトロ箱や台が積まれ、台車はたたんで立てかけられ、道具も三和土(たたき=コンクリートを打たれた土間)もすっかり水で洗われている。鉄製のものは錆び、台の木部は古び、ぴかぴかの新品はひとつもない。それが清々しい。

 ここには、今日を働き抜いた人たちの残像と、明日への心意気が満ちている。きっちりとした片付けが、彼らの明日を約束している。

 一日の仕事を終えた職人は、道具の手入れをし、散らかったものを掃きだし、雑巾で拭き、すべてを元の場所に戻す。職人仕事の基本は「始末」なのだ。終わりをきっちりさせることで、始まりをゆるぎないものにする。終わり方を良くすることで、一日の仕事のすべてを意味のあったこと、良かったことにする。

 これはリセットではない。ゼロにするのではなく、仕事にかけた腕と時間との跡を積み重ねているのだ。

 工場で生産性を高める第一歩も片付けから始まる。片付けることで、道具や部品の欠落や余剰がわかる。働くスペースから無駄が取り払われ、事故を防ぐことができる。これを繰り返せば、片付ける場所や、片付け方や、片付けたもの同士の位置関係が、これしかないという一点に収まる。それは片付けを繰り返した人たちだけが作り出した環境だが、世界中のどの職場でも通用するスタンダードだ。

 片付けるとは、「片を付ける」ことだ。「方を付ける」とも言う。方は四角のことで、曲がりや歪みを正してやることだ。また「方」も「片」も、ふたつに分かれたものの一方のことで、片(方)を付けるとは、ばらばらになった物事をひとつに結ぶ意味もある。

  仕事を終えて片付けをすれば、一日のいろいろなことがゆっくりと思い出されてくる。忙しさの中で起こった行き違い、先を急ぐあまりの手抜き、感情に駆られて投げつけた乱暴な言葉、小さな自尊心を満たそうとしてこぼれ出た反発や皮肉。

 そうした歪んだままで残された片々を拾い集め、思いをかけてみる。さまざまな歪みが、自分の中から洗い流される。流し切れないものがあれば、問題に連絡し、やり直したり、修復したり、謝れば良い。そうして一日の歪みに片を付け、良い物事だけを結び直していく。

2020/12/23 NozomN